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人生朝露

人生朝露

「認知のゆがみ」と荘子。

ところがどっこい。
荘子です。

Zhuangzi
堯以天下讓許由、許由不受。又讓於子州支父、子州支父曰「以為我天子、猶之可也。雖然、我適有幽憂之病、方且治之、未暇治天下也。」夫天下至重也、而不以害其生、又況他物乎。唯無以天下為者、可以託天下也。(『荘子』譲王篇 第二十八)
→堯が許由に天下を譲ろうとしたところ、許由はそれを辞退した。そこで子州支父に譲ろうとしたところ、子州支父は言った。「私を天子にしてくださるのは、ありがたい話ですが、私はいま幽憂の病を患っており、天下を治める暇はございません。」天下のまつりごとはもちろん大事だが、それですら、自らの生を犠牲にするものではない。まして、他の事柄などは無理に受ける必要も無い。ただ、無心であるもののみが、天下を託すべき者といえるのだ。

この「荘子」の「幽憂の病」というのが「鬱病」のことであろう、ということについて、続きを。

参照:当ブログ 荘子の養生と鬱。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5030

ちょっと、「斉物論篇」を中心に意図的に抽出してみます。

Zhuangzi
「有有也者、有無也者、有未始有無也者、有未始有夫未始有無也者。俄而有無矣、而未知有無之果孰有孰無也。今我則已有謂矣、而未知吾所謂之果有謂乎、其果無謂乎」(『荘子』斉物論第二)
→(この世の始まりにおいて)「有」があるということは、有がなかった「無」があったはずである。しかし、その前に「まだ無すらない状態(有)」があったはずだ。さらに深く考えると、その「有すらなかった状態」があったはずである。このように、言葉によって世界の始まりを語ろうにも、きりがなく、真理には到達し得ない。しかし、何かが存在する、もしくは存在しないということすら分からない人間が、平然と「有」や「無」を口にする。今私は「有」と「無」ついて説明してみたのだが、それで、何を表現しているのか、それとも何も表現していないのか、分からない。

「天下莫大於秋毫之末、而太山為小。莫壽於殤子、而彭祖為夭。天地與我並生、而萬物與我為一。」(『荘子』斉物論第二)
→天下に一本の毛よりも大きなものはなく、泰山よりも小さなものはない。殤子よりも長生きで、彭祖よりも短命なものはいない。天地は私とともに生じ、万物とも私と同じ「一つのもの」なのだ。

「喜怒哀樂、慮歎變恐、姚佚啓態。樂出虚、蒸成菌。日夜相代乎前、而莫知其所萌。已乎已乎!旦暮得此、其所由以生乎。非彼無我,非我無所取。是亦近矣。」(同)
→喜怒哀楽や思慮、嘆き、恋、恐れ、うきうきしたり、ゆったりしたり、啓いたり、形になったり、音楽が空っぽの笛から奏でられたり、蒸し蒸しした気からキノコが生えたり。日夜繰り返す感情の変化は一体どこからやってくるのだろう。いや、止めだ、止めだ。そんなことを考えるのは。この変化はなにかきっかけがあるようだが、相手がいるから私という存在があり、私を抜き取ってしまうと何もなくなる。これが道に一番近いのだ。

「悲夫。世人直為物逆旅耳。夫知遇而不知所不遇、知能能而不能所不能。無知無能者、固人之所不免也。夫務免乎人之所不免者、豈不亦悲哉!至言去言至為去為。齊知之所知、則浅矣。」(『荘子』知北遊 第二十二)
→悲しむべきことだ。世の人々は、外物の「逆旅(仮の宿)」に過ぎない。出会うことのできる範囲でしか知ることはできず、出来ることの可能性の中でしか生きることはできない。知ることができる力も、することができる力にも限界があるのは、人の免れえぬところだ。さかしらな知識や、力へのうぬぼれで、それを越えようとする人のありようは、悲しむべきことではないか。至高の言葉は言葉を捨て去り、至高の行いは行いを捨て去る。知るということを知らずして全てを知った気でいるのは、浅はかなことだ。

「福輕乎羽、莫之知載。禍重乎地、莫之知避。已乎已乎、臨人以徳。」(『荘子』人間世 第四)
→幸福は羽毛のように軽いのに、それを手に乗せることもできない。禍は天地よりも重いのにそれを避けることはできない。止めよ、止めよ、道徳を以って人に臨むのは。

次に、これを読んでください。


-----(引用初め)------------------------------------
1.全か無か思考(all-or-nothing thinking)
 ほとんどの問題は, 白か黒かのどちらかに決めることはできず、事実はそれらの中間にあるものですが、物事を見るときに、「白か黒か」という2つに1つのの見方をしてしまうことを「全か無か思考」といいます。

2.一般化のしすぎ(overgeneralization)
 1つの良くない出来事があると,「いつも決まってこうだ」、「うまくいったためしがない」などと考えること。

3.心のフィルター(mental filter)
 1つの良くないことにこだわってくよくよ考え、他のことはすべて無視してしまうこと。
 ちょうど1滴のインクがコップ全体の水を黒くしてしまうように。「心のサングラス」ともいう。

4.マイナス化思考(disqualifying the positive)
 単によいことを無視するだけでなく、なんでもないことやよい出来事を悪い出来事にすり替えてしまうこと。

5.結論の飛躍(jumping to conclusion)
 特に確かな理由もないのに悲観的・自分は良くないんだ・悲しいというような結論を出してしまう。
 a. 心の読みすぎ(mind reading):ある人が自分に悪く反応したと早合点してしまうこと
 b. 先読みの誤り(the fortune teller error):今の様子は確実に悪くなると決めつけること

6.誇大視と過小評価(magnification and minimization)
 自分の短所や失敗を大げさに考え,逆に長所や成功したことをあまり評価しない。
 「双眼鏡のトリック」とも言う。

7.感情的決めつけ(emotional reasoning)
 自分の感情が現実をリアルに反映して、事実を証明する証拠であるかのように考えてしまうこと。

8.すべき思考(should thinking)
 何かやろうとする時に「~すべき]「~すべきでない」と考える。
       
9.レッテル貼り(labeling and mislabeling)
 ミスや失敗をした時に,「自分は負けだ」、「とんまもの!」などと自分にネガティブなレッテルを貼ってしまうこと。

10.自己関連づけ(personalization)
 何か良くないことが起こった時、自分に責任がないような場合でも自分のせいにしてしまうこと。
------------------------------------(引用終わり)-----

参照:「認知のゆがみ」の10パターンとは
http://www.ncn-k.net/azaz/nintip02_1.htm

参照:うつ病との闘い方
http://yukitachi.cool.ne.jp/utsu/u62ninchi.html

・・・これ、うつ病の人のための認知療法の用語である「認知の歪み」というもののパターンを列挙したものなんですが、荘子の記述の抜粋と一致する箇所が多いんです。荘子はこの歪みを正常に戻す効用があるのではないかと思っています。荘子の相対的な思考が、心の体幹の部分を「ただしてくれる」みたいなところがあるんです。ま、専門家じゃないんで詳しくは分かりませんが、

芭蕉。
芭蕉が荘子を愛したのも、なんとなくですが分かるんですよ。

参照:当ブログ 荘子と進化論 その45。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201004060000/

ちなみに、認知の歪みというと、

・・・・(以下引用)・・・・
1 みずからの見解に関する最終的結論をほとんど述べずに、相手の弱点を集中攻撃する。 
 たとえば、ホロコースト否定論者の場合なら、目撃者の証言に見られる不一致を重点的に攻めようとする。

2 対抗する主張の主たる学者たちが犯した失策を利用し、相手の結論が少しばかりまちがっていたからという理由で、その結論は「まったく」のまちがいだとほのめかす。否定論者は、人間石鹸にまつわる噂が、実は作り話だと判明したことにふれ、歴史学者たちがアウシュビッツでの死者数を400万から100万に減らしたことを理由に、「信じられないほど規模が小さくなったホロコースト」について話す。

3 自分たちの意見に説得力を与えるために、有名な主流派の言葉を断片的に引用する。否定論者は、イェフーダ・バウアーやラウル・ヒルバーグ、アルノー・メイヤー、そしてナチスの指導者の言葉まで引用している。

4 彼らは、ある分野における特定の問題点に関する学者たちの純粋無垢な議論を、その分野全体の是否にかかわる論争だと誤解している。否定論者はホロコーストの拡大についての目的論派と機能論派の議論を、ホロコーストがあったか、なかったかという論争としてとらえている。

5 一般に知られていないものには注目するが、知られていることは無視し、都合のいいことは強調するが、都合の悪いことは軽視する。否定論者は、ガス室について一般に知られていないことに注目し、証人たちの報告や、大量殺人にガス室が使用されたとする法廷答弁をすべて無視している。
・・・・(引用終わり)・・・・

なぜ人はニセ科学を信じるのか マイクル・シャーマー著 早川書房
『なぜ人はニセ科学を信じるのか』という本に出てくる、「ホロコースト否定論者」や「進化論否定論者」の主張とほとんどあてはまってしまうんですよ。南京事件否定とか、あのバカ理論を真に受ける人間ってのは、知能以前に精神的に問題があると、私ははっきりと思っていますので。もとを糺せば、カルト宗教がなんかやっているというパターンの方がおおいんでしょうけどね。たとえば統○教会、幸福の科○、法輪○なんてのは、みんな進化論否定のバカ理論をそのまま南京事件否定に流用しているだけですよね。人の心の弱みに付け込む手口の一つとして、重要なんでしょうが。

参照:当ブログ 南京事件と進化論。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/200902220000/

あとで、推敲します。

今日はこの辺で。


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